自暴自棄な生活からの脱却
1968年、古谷一郎は秦野市で食堂を経営する両親の長男として生まれる。
地元の秦野で成長し高校は地元の進学校に入学するが、人生の目標と言うものが持てず、ただ学歴のための進学と言う現状に納得ができず中退。
インターネットで「古谷一郎」を検索すると様々な記事が出てくるように、この頃の古谷は、内なるエネルギーのぶつけどころがなくヤンチャな暴走時代を過ごす。
ただ、育った環境か親の遺伝子か、とあるテレビ番組を観たことで、ラーメンに自分の生きる道を発見する。
すぐにラーメンの修行のため九州熊本へ旅立ち、熊本ラーメンの店舗で無給の修行時代を過ごす。
修行の末、地元秦野に帰って来た古谷は29歳で”ラーメン なんつッ亭”を設立。
誰もお客さんの来ない小さなラーメン店で、日々味の研究を重ねる。
やがて地元の人達の支えの末に行列の出来るラーメン屋に成長。
各種ラーメンのコンテストでも多数の受賞を受ける。
折しも時代はラーメンブーム。
その時代の波に乗り”ラーメン なんつッ亭”は、都内に数店舗を構えるラーメン店として急成長を果たす。
また古谷本人も武骨で強面な外見から想像出来ない、ひょうきんなキャラクターが受け、
「どっちの料理ショー」「情熱大陸」「爆走!ポンコツラーメン屋台 」等の多数のテレビ番組に出演する事となる。
順調に成長する”なんつッ亭”は、海外(タイ・シンガポール)にも店舗を進出。
このまま生涯ラーメン店の店主として人生をまっとうする気持ちでいる中、日本で未曽有の大災害が発生する。
2011年東日本大震災が発生
目を疑うような光景を目の当たりにし、「今の自分に何が出来るか」を問いただし、様々なボランティア活動を行う中、行政の対応への小さな疑問が生まれる。
そして今の日本という国の内面を多方面から調べ、また海外から日本という国を見つめ直しみると、その疑問はどんどん大きな不信感へと膨らむ事となる。
現状の行政を知れば知るほど現状の日本国家のメカニズムに対しての不満が募り、自らインターネットを通じてその現状を多くの人に向けて配信を始める。
しかし、日本と言う国の文化として、一国民がどれほど叫んでも大きな改革にはつながることは無く、
本気で日本という国の改革を行うためには、自らがそれを行う立場に立たなくてはならない事を実感する。
2018年4月「秦野から未来を創る会」を創立
古谷一郎 50歳にして秦野から、神奈川から、日本のために働く事を決意する。
古谷一郎コメント
僕は決して高学歴ではありません。
両親は小さな食堂の経営者で、資産があるわけでもありません。
当然、地元の政治的な基盤を持っている2世でもありません。
そして人に語れるような青春期も過ごしてはおりません。
しかし、20年間、精一杯ラーメンを作ってきました。一杯のラーメンの中に小さな幸せを込めて、
食べて頂いた方が小さな幸せを感じて頂けるよう日々、それだけのために生きてきました。
そんなラーメン屋が、行政を語るのはおこがましいでしょうか?日本ほどの経済力を持った国の国民が
「なぜ、こんなに息苦しく生きているのか」
「なぜ未来に安心感を持てないのか」
「なぜ弱者が見捨てられていくのか」
普通の人間が、普通に生きるための方法を語る事も踏みつぶされる。
残念ですが、今の日本は、
『特別な人たちが、特別な人たちのためだけに国づくりをしている』
そんな国なのです。
そしてどんどん”民主主義の仮面をかぶった独裁国家”へと歩んでいます。
僕は普通のラーメン屋です。
勉強を頑張った学生さんに、、
一日懸命に働いたお父さんに、、
毎日育児で疲れているお母さんに、、
目を輝かせている子供たちに、、
笑顔になってもらいたいという気持ちで作る一杯のラーメン。
それを作り続けていれば良いと考えていました。
でも、
僕にはまだ出来ることがあるはず。
そして皆さんにも、もっと出来ることがあるはずなのです。